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【死】現にここにいる”わたし”にとって、やはり死は恐怖です

魂の存続
ショーペンハウエルは『意志と表象としての世界』で述べています。
「私たちの見る世界は、世界の本質の表象に過ぎない」と。
そして“弓矢の例え”で、本質の不滅性についてこう論じています。
弓から放たれた矢は飛んだ時から存在したのか。
いや、矢は放たれる前から既に、弓を引く者の意志の内に存在していた。
そして、その因縁は矢が放たれた後も消えることはない。
 
この考えを私達の本質に当てはめて、死を克服しようとする試みがあります。
死によって、たとえ私達の体が滅びたとしても、私を構成する物質はなくならない。
つまり、私達を構成する因縁そのものがなくなるわけではない、と。
だから、現象としての死はあるかもしれないが、本質的な死ではない。
つまり、いわゆる魂というものは存続する、と。
確かに、こう考えれば、観念としての死は消えるかもしれません。
 
しかし、そもそものところに返ってみましょう。
死の恐怖は、肌身から沸き起こる感情です。
それはどこから起きるか?
存在して後に現れた実存的な“私”から出てきます。
”私”が生まれる前のことはどうでもいい。
今ここに存在している”私”、生まれてからここまでに育った”私”が消えるのが怖いのです。
そうであれば、死の概念が消えたとしても、やはり、この“私”にとって、死は問題としてあり続けることになります。
従って、どれだけ魂不滅論を受容したとしても、最期は“覚悟”が必要です。

思伝門下塾 池之内 亨
2024年08月01日 22:35

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