【死】今、あなたはどのように死と向き合っていますか?

その理由は様々、
「社会に居場所がない」
「自分は役立たず」
「自分なんていない方がいい」
「消えたい」
「生きることがつらい」
「生きることに意味を見出せない」
「毎日、体の苦しみしかない」
「もう終わりにしたい」
「誰も自分のことを理解してくれない」
「大切な人を失った。わたしも逝きたい」
「介護でわたしの人生はないも同然」
「将来に希望がもてない」
「わたしは人間失格」
「毒親のもとから逃れたい」
「この汚いわたしの存在を消したい」
「どいつもこいつも信用できない」
「すべて投げ出してしまいたい」
存在の危機に立たされた時は、とてもつらいものです。
阿鼻叫喚の生き地獄、悶え苦しみ血反吐を吐いています。
もう終わりにしたい、と思うのは当然のことです。
そもそも人類三千年の歴史において、死は人間最初の悩みであり、
その後、人間最大のテーマとして思考が重ねられました。
それでも、
「生涯で学ぶべきは死」(セネカ、紀元前1年頃生)
「人生には死しかない」(トルストイ、1828年生)
「人間は死への存在」(ハイデッガー、1889年生)
死は巨大な壁となって、人類に立ちはだかっています。
だから、この暗黒の魔物に取りつかれ、途方にくれるのは自然なことです。
でも実は、あなたはとても大切な気付きを得ようとしています。
「人間は限界状況で挫折し絶望した時、真の自己を取り戻す」(ヤスパース、1883年生)
どうにもならない巨大な魔物に出会って初めて、人間はこの作られた日常を振り返り、
社会の営みの一切の打算を捨てた、本当の自分に気付きます。
それは、“わたし”という存在を、より大いなる“生命”の営みに位置付け、
より普遍的な“命”の営み、つまり、広大な物質的世界に出現した“命”の意味を見つめる感性に目覚めるからです。
多くの先人たちは、そこで生の真の意義や人間の価値を見出しました。
そして、彼らは再生し、死の宿命を受け入れ、それぞれに一度きりの人生を全うしました。
思伝門下塾 池之内 亨
2024年08月20日 23:33